日本に法と正義を取り戻す会

basic代表メッセージ

「人間は、完成状態に達すれば動物の中で最善の存在になるが、それだけに、法と裁きから離れれば、万物の中で最悪の存在になりもする。」「不正が武器を手にすると、最大の脅威になる。人間は生来、思慮と徳が利用するための武器を持っているが、それらの武器は、正反対の悪徳の発揮にも最大限に利用しうる。」「徳を欠けば、人間は最も不敬虔で最も野蛮な存在になり、性欲や食欲に関わる行動においても劣悪さを極める」「正義は国家的に実現されるものであるから個人の不正を抑止できる。なぜなら、裁きこそが国家共同体の秩序であり、裁きとは正義に関する判定にほかならないからである」(アリストテレス「政治学」、三浦洋訳)。

2000年以上前、プラトンと並ぶ古代ギリシャの最大の哲学者アリストテレスが残した言葉です。
有史以来、各国の歴史の中で、「法と正義」を大切にし、それによる裁きを受け入れることで、国家への信頼が確保され、統合が維持されてきました。
日本においても、約1500年前、十七条憲法などを通じて、法の実質的な独立と法とその執行が道徳的価値観と良心への依存を通して「法と正義」の一体化を図った聖徳太子の時代から、「法と正義」を尊重されてきた歴史と伝統があります。
ところが、今の日本は、それとは真逆の状況にあります。この国は、社会は、いったい、どうなってしまったのか、この国の「法と正義」はどこに行ってしまったのか。

国民の代表であり、国権の最高機関である国会は、党利党略に明け暮れ、国会議員は、政治的、私的利益と自らの議席の維持に汲々とし、政治資金の私物化、納税の回避、不正の横行は目を覆わんばかりです。官僚は、政治権力者に媚びへつらい、忖度し、法に基づく行政が行われていることを記録する公文書も、平然と廃棄・改ざんする。
司法の世界では、不当違法な取調べは後を絶たず、検察は恣意的権力行使による冤罪を批判されても自浄作用は働かず、裁判所は、検察官の主張・意見に盲従、「人質司法」による人権侵害に対する国際的批判にも耳を貸さない。
一方で、検察組織の最高幹部が、部下の女性検事への強制性交の蛮行が明らかになっても、被害者への「二次加害」は放置され、行政庁への出向裁判官がインサイダー取引、火災処理担当の警察官は「火事場泥棒」、最高学府とされてきた東大医学部教授は業者に高額接待、性的接待を強要する、国家の作用を担うプロによる信じ難い犯罪が後を絶たないのも、各分野において、公務員全体が公僕としての国への使命感を失っていることの表れです。

これ程までに「法と正義」が蔑ろにされることが、これまでの日本にあったでしょうか。
我々は、もう我慢できません。黙っていることはできません。「法と正義」が蔑ろにされていることに関して、既に明らかになっている事象について、情報を整理集約し、議論を重ね、意見を述べていくこと、不正・腐敗について、埋もれている情報を社会の隅々から収集・分析し、法の適用と裁きに向けて行動を起こしていく活動を行います。

代表 郷原信郎